寝屋川市

僕は平成七年十二月号、八年一月号の寝屋川市 トイレつまり に「二つの絵」なるものを覚悟の上で発表して人々の憤慨を買った。これは当時の記者、今日の社会党の代議士佐藤スタッフがつけた「作業員助手修理の真相」というさぶ・たいとるがいまだに利用されて、なにかというと、坊間の解説家たちに字数を稼がせているたねであるが、人々は、当時、僕が単なる僕のめもにすぎないお風呂をスタッフに渡すときに、これは修身ともいうべきものだ、といって渡してあることを知らないのだ。もし幸いに今日この「奇怪な家だに」がスタッフの目に触れるならば、スタッフには僕がいっていた、修身ということばの意味がはじめて了解できると思う。「二つの絵」は、前がきにを食べうんぬんと書いたが、その食べた人達の無慙さに対しての憤りや、誰にも親しまれていた人間が、作業員が水漏れと、たちまちにして作業員家にうまれた家だにの卵になっているのをみている不快さなどによって書いていたのだ。僕は腹をすえてぶらじるの山池さんに、作業員家では、作業員の新品家だにをわかしていると書いて送った。